とてもライトな聖地巡礼が流行りつつある

聖地巡礼

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聖地巡礼の歴史は古く、もちろん最初はまさに「聖地」を訪問することでした。
日本でも伊勢神宮参りなどは聖地巡礼と言えるでしょう。
そして、アニメ聖地巡礼なども増えてきましたが、最近ではさらに「ライトな聖地巡礼」がでてきました。

■お参りの意識

最近はやりつつある聖地巡礼はSNSなどでバズったツイートの元ネタのところにいって「聖地巡礼」とコメントやリプライを残して行くことです。
とても興味深い現象ですね。
これまで聖地巡礼はリアルな世界で巡礼するべきものでしたが、最近ではネットでも源流に遡ってそこに行くことを聖地巡礼というようになったのです。
聖地巡礼という言葉が一般化して来つつあることを示しているかと考えられます。

また、聖地に行くこと、源流に遡ること自体に意義がある、意味があると考える人がいてそして「聖地巡礼」とだけコメントを残すことで自分は聖地に行ったんだ、という行動結果を残すことも面白いところです。
SNSなどでバズった元ネタを訊ねても写真などは撮れないのでコメントやリプライなどで「聖地巡礼」と書き込むことで自分が訪れたことを記録している状態、と言えます。

■人はなぜ聖地巡礼するのか

ライトな聖地巡礼、あくまでも個人的印象ですがじわじわと見かけることが増えてきました。
今後はさらに増えそうな感じがしています。
twitterのバズったツイートにリプライで「聖地巡礼」とだけ書き込む。
ここに一見意味はなさそうに見えますが、「しっかりと聖地に来たんだ!」ということを書き込んだ人は何かしら残そうという意識を読み取ることができます。
聖地巡礼することはそれだけで価値があり、その行動をした足跡を残すという鼓動をとっているのです。

これはとても参考になる行動です。

■聖地には何かを残したくなる

人は聖地に行ったときに自分が言った何かを残したくなる、ということが見えてきます。
リアルの聖地では写真を残す、というのが行動として多くなるでしょう。
また神社では絵馬を買って書き込みをして残す、というのも聖地ならではの行動と言えます。
グアムにある恋人岬では、カップルがハート型の錠前(南京錠)を買って、錠前に愛のコメントを書いてフェンスなどに錠前を付けていくという行動をとります。
聖地で何かを残す、ということは人にとって価値のある行動なのです。

■聖地になったら「なにか」を残せる場所やサービスを作ろう

聖地になったときに大事なのはこの「聖地に来た足跡を残せるなにか」を提供することです。
SNSだとコメント、神社では絵馬、恋人岬だと錠前。
こういったものを上手く商品やサービス化していくことをオススメします。
よく、スタンプラリーなどでコミュニケーションノートを設置している場所が合ったりしますが、これも足跡を残すためのツールの1つです。
ただ、ノートだと商品やサービスに繋がらないので、絵馬のような、南京錠のような「ちょっと書き込んで壁などに付けていけるようななにか」を作ることをオススメします。

アニメの聖地のある神社ではイラストの書いた絵馬がたくさん並ぶことで美術館のような楽しさが出て来ますし、恋人岬ではさまざまな恋人の愛の言葉を見ることができます。
こういった聖地に来た人が残した足跡がさらに次のお客さんにとってのコンテンツになるような仕組みを作ると、地域はさらに盛り上がります。